古本屋、以前。

 古本屋でアルバイトを始める前は、流れの、パチンコ店店員でした。当時のパチンコ店は今と違って、住所不定の偽名でも、その日から働けて、住めて、メシが 喰えて、とりあえず一週間働けば前借りが出来る、世のつまはじき者にとっては砂漠のオアシスのような場所でした。ヤクザと変わらんようなおっさんや、会社 を潰して逃げている競艇好きの社長、駆け落ちした不倫中年のカップル?などなど、得体の知れない脱落者の巣窟。僕も、2年程、関東各地をふらふらとしていたの ですが、最後に流れ着いたのが、横浜の、寿町というドヤの入り口にあるパチンコ店でした。いずこも同じ、というか、その店は、場所が場所でしたので、今ま で世話になったどのパチンコ店よりもガラが悪かったように思います。喧嘩や置き引きは日常茶飯事。ひとたび何か事が起これば、店員(上の人からは兵隊とよ ばれていましたが)は、善悪の如何に関わらず店側の人間に加勢する、という厳しいルールがありました。そんなちょっと荒くれた世界でしたから、僕のような腰の引けた人間は、本来 ならつま弾きにされ相手にされないのですが、なぜだか、大学出の兄ちゃんが、道を間違ってフラフラしている、この世界では珍しいインテリ君(笑)として、 主任や班長から可愛がられていたので、乱暴なことは乱暴な方々に任せて、ひ弱な僕は喧嘩などに参戦することはあり ませんでしたが、今から思えば随分とスリリングな毎日だったような気がします。。特に可愛がってくれたのが豪家班長という、ニグロヘ ヤーの、ごつい体をした、仙台出身のおじさんでした。見た目は、ヤクザそのものという感じでしたが、なんか、わけの分からん、夢のようなことばかり口走る インテリ君をことのほか可愛がってくれて、生意気にも、何かの拍子に口論になっても、決して殴ったりすることはありませんでした(ただし、グーで)。ある日、その班長と早番明けに飲みにいったのですが、案の定、二人ともベロベロになり、深夜の伊勢佐木町で大口論。その時なにを話していたのかは憶えていませんが、若い僕はひたすらわけの分からんことをマシンガンのごとくわめき散らしていたと思います。と、突然、豪家班長が**と大声で僕の名前を叫びました。お前は一体どうしたいねん(また、関西弁ではありませんでしたが)。殴られる、と一瞬思いましたが、違いました。すくと仁王立ち、黒いサングラスを道路に叩き付けると、なぜだか車道に向かってダイブ、ゴン、と鈍い音がしました。なにがなにやら判りませんが、とにかく、車に轢かれないようにと豪家班長を抱きかかえると、顔は血まみれ、擦り傷だらけ、大丈夫ですかと聞くと、大丈夫、お前がうるさくてしょうがないから、泳いで帰ろ思てんけどな、という答え。なるほどそうでしたか。申し訳ないような、馬鹿馬鹿しいような、とにかく、打ち身と擦り傷でよれよれになった班長を店の寮まで引きずって帰る道の長かったこと。その時です。もう、こんな浮き草暮らしはやめよう、と心の底から思ったのは。それで、ちょうど、よく本を買いにいっていた古本屋にアルバイト募集の張り紙がしてあったのを思い出し、


バタバタと…

こんばんは。モズブックスです。

古本屋というと、一般の方は、帳場の奥の薄暗い場所で、一日中じっと座って本を読んだり、テレビを見たり、居眠りしたり、というイメージがあるかもしれません。いずれにしても気楽な商売だなあというようなイメージ…。まあ、そういう、ある意味、優雅な店主もおられるかもしれませんが、私の見渡すかぎり、皆さん仕入れに市場に即売会にネット作業に梱包に組合仕事に、あれこれかなり忙しそうです。ウチのような零細店でも毎日バタバタしていて、気づくともう夕方、もう日が変わったというのは日常茶飯事です。今日もこのブログに書きたいことはあったのですが、そういうわけで燃料切れ、またの機会にさせてください。


セドリについて(ヴィルヘルムマイステルの)

梁山泊時代のお話。
月曜日の市場が終わった後、突如店主の島元健作さんに「今から南の○○書店さんに行って『セドリ』をしてきなさい」と言われたのでした。
勤め始めて3年ほど経ったある日のことでした。
○○書店はわりと広い店で古い本から新刊に近いものまで幅広く揃えていて、当時も今も安目の値づけで人気のお店です。
おそらく数万冊はあると思われる棚をなめるように眺めていったのでした。
約1時間半、選んだのは安藤昌益についての研究書と中島敦の研究書。
結果は…いずれも×でした。
棚の書名を眺めながら、自分でも何が何やらわからないままのセドリ初体験。
あの頃の自分と現在の自分、成長しているのやらしていないのやら。
違っているのは、失敗したときのリスクが全部自分にかえってくること!


のどかな時代の

~ 横浜の古本屋で働いていた時の話~

大きな古本屋の漫画コーナーを担当していたのですが、月に一度、横浜から出発して、戸塚、藤沢、茅ヶ崎、平塚~いわゆる湘南地方へと巡ってゆくセドリの日がとても楽しみでした。社員の先輩が、S資金と称する封筒に入ったお金(幾らくらい入ってたのかなあ)をお店から預かり、僕が、ボロい軽のバンを運転して出発。まだインターネットなんて便利なモノはありませんでしたので、電話帳や、人の記憶をたよりに、海沿いの街の古本屋を一日かけて巡ってゆくのです。新書版の絶版漫画が高値でどんどん売れていた時代、中野のまんだらけで勉強した値段を参考に、海の街の本棚からどんどん漫画を抜いてゆくのです。今思えば、ずいぶんと乱暴な、態度のデカイ商売だったなあと、恥ずかしくなりますが、その当時は、そうやって棚ごと買う勢いの商いができる自分を、ちょっとした***(恥ずかしくて云えない)くらいに思っていた、ような、気がします。まあ、絶版漫画バブルにのっかっていたからできたことですし、田舎の、おじさんおばさんのお店では、売れりゃあ何でもいいってな感じでしたから。最近の市場で、その時セドっていたような漫画の束が、全く値段にならないのを見て、一体、あの騒ぎはなんだったんだろうと、あきれる思いです。様々なプチ・バブルを繰り返しながら、古本屋は何所へ転がってゆくのか?その行き先がだんだん見えにくくなっていく今日この頃、のどかな時代の古本屋を懐かしく思い出します。