本を拭かない本屋もあった、ような。

 古本をきれいに拭く、という作業が、どの古本屋にとってもごく当たり前の事となったのはそう古い話ではないような気がします。もちろん、文学の初版本や限定本、特別な美術書などは本の状態の良し悪しを含めてその価値が問われるという事はあったでしょうし、本のクリーニングに気を使っていたお店は沢山あったでしょうが、普通の、街の古本屋では、まあ、読めればそれだけで十分に商品としての価値がある、と云う態度で、本を扱っていたお店も数多くあったように思われます。お客様から買ったそのままの状態で(ま、多少埃くらいは払うでしょうが)、お店に並べる。手間は、かけない。それでも、本は売れていたのだと思います。現在のように、多少神経質とも思える程本の状態にこだわり、クーリーニングに神経を尖らすようになったのは、やはり、大手の新古書店が全国にチェーン展開し始めた事と無関係ではないように思います。あと、ネット通販の影響も、あるかと。僕がこの業界に足を突っ込み始めた頃はまだ、お客様も、お店も、今ほど神経質ではない方が多くおられたような気がします。古本は古本だからね、てな、軽いのりがあったような気がするのです。薄暗い古本屋に、山積みになった、汚い本、という古~い古本屋のイメージを街で見かけなるにつれ、古本の値段が全国均一になっていったような気がします。明るい売り場(ネットも含めて)、清潔な商品、というのは、昔からの、ヘビーな古本好きには物足りないかもしれません。もっと埃を!

ちなみに、僕が勤めていた横浜のお店では、徹底的に本拭きをやらされました。高額な本も、百円均一の本も、区別なく拭き吹き。夢の中でも、本を拭いていたくらいです。今の怠け癖は、あの時本を拭き過ぎたからだと、自分に云い聞かせて、今日もぼんやり過ごしています。

追伸

どんなに沢山本を拭いたとしても、ちょっとくらいここに、何か書く時間は皆さんお持ちではないかと思うのですが?寂しい限りです。ねえ、


古本をきれいにするということ

こんばんは。モズブックスです。連投失礼します。

仕入れた本はできるだけ良い状態にして販売したいものです。もちろんここ10年くらいに出た本と、戦前に出た本を並べて、「できるだけ良い状態」とはどんな状態か?ということを議論したって、何の意味もありません。程度の問題、経年相応ということについて、古本屋サイド/お客様サイドの双方に共通認識があると前提した上での「できるだけ良い状態」ということです。

最近、古本買取サイトというのがよく目に付きます。だいたいどこも似通った構成で、オリジナリティーがないどころか、文章までコピペ使用してるところが多いですね(ウチもチラシからHPから、ずいぶんコピペされました、やれやれ)。そういうところをいろいろ見ていますと、なかに「高価買取のコツ」みたいなコーナーがあって、「本をきれいな状態で保管していた方が高く買い取れます」というようなことを説明しています。まあ、汚れた本よりはきれいな本の方が確かに高くなるでしょう。と、そこまではいいのですが、一歩進んだところになると「本は買い取ってもらう前にきれいにしておきましょう」と呼びかけていたりします。その方法として「カバーの汚れは食器用洗剤できれいに落ちます」など、かなり踏み込んだ内容になっています。「本を買い取ってもらう前にきれいにしておいた方が、古本屋が商品化するときにきれいにする手間が省けるから、そのぶん高く買い取れる」とまで書いているところもありました。本当なのでしょうか?

いや、これが本当かどうか、それはこの際どうでもいいのです。問題は「本をきれいにするのはお客さんなのか古本屋なのか、どっちであるべきなのか?」という点につきます。私の考えでは、お客さんにきれいにしてもらうのは筋違いです。きれいにしようと思って食器用洗剤を含ませた雑巾でごしごしカバーをこすってるときに、ビリッと破れてしまったり、PP加工していないカバーを拭いてしまって、印刷がかすれてしまったり、さまざまな不可抗力で本を傷めてしまうことが想定されます。

たとえば、空き家で何年も本棚に立てたままの本の天には埃がおどろくほど積もります。これを濡れ雑巾で一気に拭いてしまうと、埃シミが天にへばりついてとれなくなります。濡れ雑巾を使う前に、刷毛で埃を払うのが先で、こうすると埃シミは最小限で済みます。

いちいち例を挙げていくとキリがないのでやめますが、私は、古本屋は古本をきれいにしたり、補修したりすることも、日常の業務であり、スキルであると思っています。どういう汚れにはどういう薬剤を使うか、どういう道具が必要になるか、古本をきれいにするための七つ道具みたいなもの、それは古本屋ごとにいろいろ工夫されていることと思いますが、その大前提として、繰り返しになりますが、われわれ古本屋は古本をきれいにしたり、補修したりすることも、日常の業務であり、スキルだということを確認しておかねばなりません。函が壊れているのを補修する、カバーをきれいにする、小口はページを繰ったときにザラッとした埃っぽさが残らないようコザッパリ仕上げる、あと和本の綴じ直しとかもそうですね。古本をきれいにしたり、補修するのは古本屋の仕事です。

ですので、「本を買い取ってもらう前にきれいにしておいた方が、古本屋が商品化するときにきれいにする手間が省けるから、そのぶん高く買い取れる」と書いてあるのを見たときには、かなりの違和感を感じました。私なら、お客さんには、「いっさい本をきれいにしようなんて思わなくていいです、そのまま、埃をかぶったそのままの姿で拝見させてください」と言います。そして埃のかぶった本をそのまま倉庫に持ち帰り、掃除機のノズルの先にブラシを取り付けて、埃をきれいに吸い取ってしまいます。これだと刷毛で掃くのに比べて、倉庫に埃が舞わないし、本にダメージを残さず埃を取り除けます。

まあ、いろんな古本屋さんがいますから、どれが正しい正しくないとは言いにくい面もありますが、少なくとも大阪古書研究会のメンバーは、私の考えに賛成してくださるのではないかと思っています。いや、賛成どころか、いまさら当たり前のことを長ったらしく得意げに書くな、と叱られてしまうかもしれませんが…。


古本屋以前 モズブックス編

こんばんは。モズブックスです。

象々さんのような面白いエピソードは何もないのですが、古本屋をはじめる前は某出版社に勤めていました。ちょうど10年で辞めてこの世界に飛び込んだわけですが、先日、ただひとりの同期入社君が、今月末でその会社を退職するという話を人づてに聞きました。

この会社へはふたりとも中途入社枠で入ったんです。90年代半ば、完全な買い手市場の時でした。朝日新聞の求人欄を見てふたりとも応募したのです。入社後に聞いたところ、応募は500人以上あったとかで、何のスキルもないドロップアウト組のふたりが、なぜか、本当に不思議なのですが、拾われたわけです。

この同僚はプロレスラーのように立派な体躯でしたが、気持ち的にどこか打たれ弱いところがあり、ある日、夜遅くまで残業してるときに、上司に叱られて泣きながら仕事してたのを思い出します。私は結構そういうことは内に秘めて淡々と仕事するタイプでしたが、彼は感情をオモテに出すことで気持ちを安定させるタイプで、私はそういう彼が羨ましくもあり、そして、なかなか憎めない男だと思ってました。

プライベートでの付き合いはまったくなかったので、私が先に会社をやめて古本屋をはじめてから連絡はお互いしてません。彼が今月末で退職する理由は、長年の夢を叶えるため、ということみたいです。後ろ向きな理由じゃなくてよかったです。

彼は15年で辞めることにした訳ですが、そう考えると、定年まで勤め上げるというのがどんなに大変なことか、今さらながら思い知らされてしまいます。とくに組織の人間として長年ひとつところにいるというのは、本当に大変なことです。

大阪の古書組合には、毎年、何名かずつ新しい人が入ってきますが、その前歴はいろいろです。いろんなスキルや経験を持った人が、新しく古書組合に入ってくるのは、古本業界の活性化にとっても必要なことだと思います。そういう新しい人は、従来の古本屋が見向きもしなかったジャンルの本に、価値を見出して商売につなげたりと、感心させられることも実に多いのです。


古本屋、以前。

 古本屋でアルバイトを始める前は、流れの、パチンコ店店員でした。当時のパチンコ店は今と違って、住所不定の偽名でも、その日から働けて、住めて、メシが 喰えて、とりあえず一週間働けば前借りが出来る、世のつまはじき者にとっては砂漠のオアシスのような場所でした。ヤクザと変わらんようなおっさんや、会社 を潰して逃げている競艇好きの社長、駆け落ちした不倫中年のカップル?などなど、得体の知れない脱落者の巣窟。僕も、2年程、関東各地をふらふらとしていたの ですが、最後に流れ着いたのが、横浜の、寿町というドヤの入り口にあるパチンコ店でした。いずこも同じ、というか、その店は、場所が場所でしたので、今ま で世話になったどのパチンコ店よりもガラが悪かったように思います。喧嘩や置き引きは日常茶飯事。ひとたび何か事が起これば、店員(上の人からは兵隊とよ ばれていましたが)は、善悪の如何に関わらず店側の人間に加勢する、という厳しいルールがありました。そんなちょっと荒くれた世界でしたから、僕のような腰の引けた人間は、本来 ならつま弾きにされ相手にされないのですが、なぜだか、大学出の兄ちゃんが、道を間違ってフラフラしている、この世界では珍しいインテリ君(笑)として、 主任や班長から可愛がられていたので、乱暴なことは乱暴な方々に任せて、ひ弱な僕は喧嘩などに参戦することはあり ませんでしたが、今から思えば随分とスリリングな毎日だったような気がします。。特に可愛がってくれたのが豪家班長という、ニグロヘ ヤーの、ごつい体をした、仙台出身のおじさんでした。見た目は、ヤクザそのものという感じでしたが、なんか、わけの分からん、夢のようなことばかり口走る インテリ君をことのほか可愛がってくれて、生意気にも、何かの拍子に口論になっても、決して殴ったりすることはありませんでした(ただし、グーで)。ある日、その班長と早番明けに飲みにいったのですが、案の定、二人ともベロベロになり、深夜の伊勢佐木町で大口論。その時なにを話していたのかは憶えていませんが、若い僕はひたすらわけの分からんことをマシンガンのごとくわめき散らしていたと思います。と、突然、豪家班長が**と大声で僕の名前を叫びました。お前は一体どうしたいねん(また、関西弁ではありませんでしたが)。殴られる、と一瞬思いましたが、違いました。すくと仁王立ち、黒いサングラスを道路に叩き付けると、なぜだか車道に向かってダイブ、ゴン、と鈍い音がしました。なにがなにやら判りませんが、とにかく、車に轢かれないようにと豪家班長を抱きかかえると、顔は血まみれ、擦り傷だらけ、大丈夫ですかと聞くと、大丈夫、お前がうるさくてしょうがないから、泳いで帰ろ思てんけどな、という答え。なるほどそうでしたか。申し訳ないような、馬鹿馬鹿しいような、とにかく、打ち身と擦り傷でよれよれになった班長を店の寮まで引きずって帰る道の長かったこと。その時です。もう、こんな浮き草暮らしはやめよう、と心の底から思ったのは。それで、ちょうど、よく本を買いにいっていた古本屋にアルバイト募集の張り紙がしてあったのを思い出し、