(リレー連載)古書キリコ

棚卸し[たなおろし]

売れない本を倉庫に引っ込めて、あたかも品が回転しているように客に示す方法。毎日か、または日を決めて少しずつ棚の本を動かさないと、客が見飽きて、この店は売れない店だときめてかかられると客の購買感が低下するのを防止するために必要な行為。
(「古書キリコ通信」第2号 「古本屋業界用語辞典」より)

かなりむかし、開店後間もなくして刊行したミニコミ誌での一節である。冗談交じりに始まったこのミニコミ誌は少部数であったにもかかわらず好評を博した。特に書き手の一人であったH氏は客の立場から古本屋の生態を観察することに長けていたようだ。たとえば次の項目。

隠れる[かくれる]

競取師やイヤな客が来ると主人は妻や従業員に店をあずけて、その場を退散する意。主人の心の配慮を意味する。

また次の項目。

ゴウダツ[ごうだつ]

漢字で「強奪」と書く。古本屋で店主が本の品定めしているときに顧客が値の着いていない品を、「ソレ、いくらだ」と、その場で買う場合をいう。これは、店主が無防備な状態を客がつかさず買手という立場を利用して責める手だ。店主は知り合いの客に無茶な値も言えないし、その場の即対応、ふいをくらった状態だ。よくインドネシアの漁民がするダイナマイト漁法に似たものだ。この漁法は魚がいそうな場所を狙ってダイナマイトに火を付け投げる。それをくらった魚は強烈な爆音に失神し海面に浮き上がる。(以下略)

なんとも凄まじい話だ。しかしこれは古本屋にとっては日常茶飯事にすぎない。後でふりかえってみて、それが通過儀礼のようなものであったことに気づくのだ。だからなおさら慎重にお客と接しなくてはならない、そう自分に言い聞かせてはきたのだが・・・。

こんなことを言いだしたのは、そろそろこの業界から足を洗いたいと思った矢先、店が立ち退きになり移転の話が飛び込んできたからで、だれかが耳もとでささやく声が聞こえたような気がしたからだ。そのだれかとは?と問い質したとき、長年のお客の顔が見えてきた。そのひとつひとつは私を遠巻きにしておもむろに近づいてきてはこうささやくのだ。
「またお店に行きますよ」
「久しぶりですね、キリコさん、三年ぶりかな」
「下鴨で会うなんて! お店、がんばってください」
「暑くなりましたね、まずはビールでも」
「この店、冷房ないの?」
「冬はちょっと寒すぎるね。早くエアコンつけなさい」
「お金ができたらまたどこかで一杯やりましょう」等々。
そんなわけで廃業はおろか、店を継続することになった当店。一握りにすぎぬと思っていたところ、意外とお客、もしくはファンが多いことに気づいた。そのなかには困った人も多いが、歳月を経れば、それがその人の個性となり、ないとさびしい癖のようにも思えるようになった。「ゴウダツ」で失神するのはゴメンだが、当店、苦手な客が来てもこれからは「隠れる」ことなどしないつもりだ。約束はできないが、隠れるにはせますぎるし、かばってくれる妻や従業員もいまはいないからだ。

因みにミニコミ誌「古書キリコ通信」は創刊号が1996年、第2号がその翌々年に発行された。原版は、勤務時間が終わってから人目をはばかるようにしてH氏が職場のパソコンで作り、それを私が印刷屋に持っていって、出来上がったものを店で配った。H氏は当時を回想し、ひやひやドキドキものだった、バレレバお縄ものだからね、とよく私にこぼしたものだ。H氏の努力なくして、このミニコミ誌は生まれなかった、と言っていい。

ところで当のH氏だが、このところ音沙汰ないが、実はすぐ近くにいる。たまたま店が彼の通う職場の近くに移転したからだが、私はまだこの朗報?を彼に伝えていない。でも、もうそろそろ、とも思っている。最近流行りのサプライズも一興かなと、ひとりひそかにその日のことを想像しては仕事の手を止め笑いをこらえている。