達人の共通点

 確かに、厚生くんは、本を括るのが上手です。あと、唯書房さんも。括った本の束を持っても、ぴくりとも、緩まない、完璧な、仕事。二人は本括りの達人です。よく一緒に市場のウブ荷を括るのでずが、いつも、自分のやった束が、二人のモノに比べて緩いーー密かな、コンプレックスになっています。

このふたりには、梁山泊(父)系?とい共通点があります。たぶん、どこか山奥に、本括りの特訓場があって、そこで、島元氏にみっちり訓練をうけたのではないでしょうか?息子である草多くんが本を括っているところはあまり見たことがありませんが、どうなんだろうか?気になるところです。


倉庫の思い出

 もう17、8年も前の話。横浜で、4店舗ほどのチェーン店がある古本屋でアルバイトをしていた時のこと。京急日ノ出町駅近くの高架下の倉庫に従業員が集められ、年に一回、人の背丈の倍程も積み上がった(どうしてそうなるのか判りませんが)本の山を整理する日がありました。社長が宅買いに回ってそのまま放り込んでおいたものを、各店必要に応じて持ち帰るーー薄暗い、二階建ての倉庫の中で、店長たちと、おお、こんな本が埋もれていた、なんでこんな本買ってくんねん、これ、うち客おるから貰てくで(関西弁ではありませんでしたが)などとおしゃべりをしながら、埃をかぶった本の山を体力勝負で崩してゆき、ジャンル分けして、ビニール紐で括ってゆく。しんどいですが、色々発見もあって、古本屋にとっては楽しい時間、なのですが、僕はまだ駆け出し中の駆け出し、どうも、本を括る手つきが怪しい。先輩たちは笑いながら本の結束の仕方を教えてくれるのですが、不器用で少しも上達しない。店長たちが20~30冊くらいの山に積んだ本をテンポよく何本も括っている間に、よたよたと、1本2本、括ったと思ったら、ビニール紐の束を縺れさせ、それをもたもた解いて、少しも、役に立たない。古本屋という仕事が、案外、肉体労働であると知ったのはこの時でした。おまけに、ふらりと姿を現した社長に、新しい紐の束を使っているのを見とがめられ、「こんなに(使い古しの)紐が一杯落ちてんのになんで新しいの使うんや」と激しく怒られ、バブル期に青春時代を過ごした僕にはかなりのカルチャーショックだったのを憶えています。紐の長さが足りない時は、ビニール紐を半分に裂いて長さを確保する、という技も、社長から教わりましたが、さすがにそれはどうかと、今でも思います。そんなこと云うてたら、この新しい紐、いつ使うねん。

ちなみに、本を括るのは、未だあまり上手くありませんが、最近の若い人(なんて云い方まだ早いかもしれませんが)は、その僕よりもさらに、下手です。丁稚→番頭→独立、という徒弟制度的な古本屋が少なくなって来ている、ということなんでしょうか。本を括るのが上手な本屋さんを見ると妙に安心するのは、僕だけでしょうか?


読書と商い

 

お客様から譲っていただいた本の中から何冊か選んで、眠る前の読書用に枕元に置いておくのが古本屋の楽しみの一つです。自分の趣味とはかけ離れた、偶然に出
会ってしまった本の中から、いつもなら読まないジャンルの本を読み始めてみるのもいいものです。知らないミステリー作家のものや、斜に構えて手を出さなかったベ
ストセラー本なんかにも時には面白いものもあって、古本屋の食わず嫌いを反省したりすることもあります。寝る前に三行だけ読んで、そのまま本の山に埋もれて忘れ去られてしまうものもあります。現在、古書象々では建築書をよく取り扱いますが、独立したての頃はそうでもありませんでした。ライトやコルビュジェ
の名前くらいは知っていましたが、建築の本はどうも固いイメージがあってあまり触手が伸びなかったのです。それでも、一般の美術書やデザイン書にまじって
ちょこちょこ入ってくる雑誌やなんかを、パラパラと、暇な本屋のことですから、見ていたわけです。見ていると、自然に建築家の名前を憶えてくる。見終われ
ば、すぐに店で、安くで並べて売るのですが、そのうちに、憶えた建築家の中から売れる人と売れない人の差があることに気づく。ほほう。そうすると、売れる人の売れる理由
を、今度は少し真剣に考え始めて、簡単な建築史の流れを頭に入れ、なるほど、難しいことは判らんが、少し、値段を、いじり始め、さらに少しずつ、人に、講釈をたれ始める。憶えたことはすぐしゃべっちゃうからねーーさてさて、そうするともう、なんだか昔から建築のことを知っていたような気になって、本当は、たいして知
りゃしないんだけど、さも、知り尽くしたような顔で本を取り扱うようにななって*****あれ、こんなことはあまり書かん方がいいような気がする
な。******とにかく、お客様との出会いが読書に繋がり、その読書がやがて商売に繋がるという古本屋の、素敵な暮らし?

象々の素敵な日記より、転載。